松平 忠名(まつだいら ただあきら)は、江戸時代中期の大名。摂津国尼崎藩の第2代藩主。桜井松平家11代当主。
略歴
桜井松平家の尼崎藩初代藩主・松平忠喬の次男として誕生。『寛政重修諸家譜』によれば正徳4年生まれ。ただしこれは幕府に届け出た「公式」の誕生年であり(官年参照)、尼崎藩の資料では正徳5年(1715年)8月6日生まれ。
兄の勝千代は早世しており、享保11年(1726年)8月15日に尼崎藩の世嗣として将軍徳川吉宗に御目見した。享保13年(1728年)12月21日、従五位下・兵庫頭に叙任。
寛延4年(1751年)3月20日、父の隠居により家督を継承。翌21日に遠江守に遷任(「遠江守」は忠喬が名乗っていた官名であり、忠喬は同日に石見守に改めている)。同年6月23日、はじめて領地に赴くための暇を賜う。
幕命により、朝鮮通信使の接待役を務めている。
『寛政重修諸家譜』によれば明和3年(1766年)12月26日に江戸で死去。尼崎藩の資料では12月24日とある。52歳没(「公式年齢」では53歳没)。跡を3男・忠告が継いだ。
系譜
特記事項のない限り、『寛政重修諸家譜』による。子の続柄の後に記した ( ) 内の数字は、『寛政譜』の記載順。
- 父:松平忠喬
- 母:戸田忠真の娘 - 側室所生ともいう(松平忠喬#系譜参照)。
- 正室:宗義誠の娘
- 長女(1):脇坂安弘正室
- 長男(2):与七郎(母は正室宗氏) - 早世
- 三男(4):松平忠告 - 家督を継承
- 側室:久保氏
- 二男(3):加藤明堯 - 加藤明煕の養子
- 側室:庄司氏
- 二女(5)
- 四男(8):土井利厚 - 土井利見の養子
- 五女(10)
- 側室:山下氏
- 三女(6):水野勝起室
- 四女(9):相良長寛正室
- 養子女
- 養女(7):実父は菅沼定用 - 本堂親房室
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第五
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) NDLJP:1082717/24
- 『新訂寛政重修諸家譜 第一』(続群書類従刊行会、1964年)
関連項目
- 尼崎城
外部リンク
- デジタル版 日本人名大辞典 Plus『松平忠名』 - コトバンク




