マルクス・ポピッリウス・ラエナス(Marcus Popillius Laenas)は、紀元前4世紀の共和政ローマの政治家・軍人で、執政官(コンスル)を四度務めた。
経歴
マルクス・ポピッリウスはプレブス(平民)の出身で、紀元前359年に初めて執政官に就任した。同僚執政官はグナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオススであった。執政官としてローマを奇襲しようと接近してきたティブル軍に勝利した。執政官任期の終わりごろには、タルクィニイ軍がエトルリアとの国境近くのローマ領土に侵攻した。
紀元前356年には二度目の執政官に選出されている。同僚執政官はマルクス・ファビウス・アンブストゥスであった。マルクス・ポピッリウスはティブルに対する軍事作戦で勝利を収めている。
紀元前350年、三度目の執政官に就任、同僚執政官はルキウス・コルネリウス・スキピオであった。ルキウス・コルネリウスが病気となったため、マルクス・ポピッリウスは全ローマ軍の指揮を取り、ガリア軍に対することとなった。司令官一人を欠いたものの、ローマ軍はその優れた軍事組織のためにガリア軍に勝利した。この勝利のために、マルクス・ポピッリウスはローマに戻った後に凱旋式を実施している。
紀元前348年にも、マルクス・ウァレリウス・コルウスと共に執政官に就任。この間にカルタゴとローマの間に、二度目の条約が締結されている。
キケロによると、マルクス・ポピッリウスは紀元前359年にカルメンタ女神の司祭に選ばれている。
脚注
参考資料
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
関連項目
- ポピッリウス氏族
- 共和政ローマ執政官一覧
- 凱旋式のファスティ




