太宗武烈王陵碑(たいそうぶれつおうりょうひ、ハングル: 태종무열왕릉비〈テジョンムヨルワンヌンビ〉)は、韓国、慶尚北道の慶州市西岳洞に位置する武烈王陵にある新羅時代(7世紀)に建立された武烈王の陵墓の石碑である。1962年12月20日、大韓民国国宝第25号に指定された。新羅太宗武烈王陵碑(ハングル: 신라 태종무열왕릉비)と称されたが、現在の指定名称は慶州太宗武烈王陵碑(ハングル: 경주 태종무열왕릉비)となる。また、単に武烈王陵碑(ハングル: 무열왕릉비)と称されることもある。

概要

慶州市の西岳洞(ハングル: 서악동〈ソアクトン〉)地区に並ぶ墳丘墓(西岳洞古墳群)の東端、新羅の三国統一を推進した第29代王の武烈王(太宗武列王、ハングル: 태종무열왕〈テジョンムヨルワン〉、在位654-661年)陵の傍らに位置する。文武王元年(661年〈662年〉)のものとされ、朝鮮において螭首(ちしゅ)と亀趺(きふ)を持つ碑石としては、現存する最古のものとなる。

碑石は西南方向を向き、全高2.1メートル。カメ(贔屓)の形をかたどる亀趺は、高さ1.03メートルで、全長3.8メートル (3.33m) 、幅2.49メートル (2.54m)。長方形の基石上にある。碑石の螭首は、高さ1.06メートル、幅1.36メートル、厚さ0.36メートルである。碑座は1.73×0.86メートル。武烈王の次男、金仁問による碑文が刻まれていたといわれる碑身(ひしん)は今日なく、花崗岩による亀趺と螭首のみ残存する。

装飾彫刻

台座石の亀趺の頭部や背甲(甲羅)には文様が刻まれ、背に亀甲文(きっこうもん)、その周縁に飛雲文(ひうんもん)、頭上と頸下に宝相華文(ほうそうげもん)が見られるほか、背部の中央に碑身を載せるための蓮華座(反花座〈かえりばなざ〉)がある。

螭首には6体の竜(螭・螭竜)が彫られ、左右対称をなすように左・右より絡み合いながら中央の球体(如意宝珠)を取り合う姿が描かれる。その中央下部の高さ42センチメートル、幅33センチメートルに「太宗武烈大王之碑」の2行8文字の篆書(てんしょ)による篆額(てんがく)が陽刻されている。

脚注

参考文献

  • 関野貞「慶州に於ける新羅時代の遺蹟」『朝鮮の建築と芸術』岩波書店〈国立国会図書館デジタルコレクション〉、1941年、651-696頁。doi:10.11501/1871937。https://dl.ndl.go.jp/pid/1871937/1/348。2023年2月12日閲覧。 
  • 山本智教「韓国古美術巡礼」『密教文化』第124号、密教研究会、1978年12月15日、1-30頁、doi:10.11168/jeb1947.1978.124_1、ISSN 0286-9837、2023年2月15日閲覧。 
  • 東潮、田中俊明『韓国の古代遺跡 1 新羅篇(慶州)』森浩一(監修)、中央公論社、1988年。ISBN 4-12-001690-0。 
  • 韓国文化財保護協会 編、李石珩 訳『韓国文化財大観 1 国宝1 木造建築・塔婆・仏像・石造物』1991年。 
  • 藤井直正「亀趺をもつ石碑の系譜」『大手前女子大学論集』第25号、大手前女子大学、1991年12月20日、29-64頁、ISSN 02859785、NAID 110000046523、2023年2月12日閲覧。 
  • 篠原啓方「朝鮮時代の胎室加封碑に関する予備的考察」『東アジア文化交渉研究』第5巻、関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)、2012年2月1日、359-370頁、ISSN 18827748、2023年2月12日閲覧。 

関連項目

  • 武烈王陵
  • 武烈王
  • 大韓民国指定国宝
  • 螭首
  • 贔屓

外部リンク

  • 「慶州 武烈王陵、太宗武烈王陵碑(경주 무열왕릉, 태종무열왕릉비)」『Korea Trip Tips』、韓国観光公社。http://www.koreatriptips.com/ja/tourist-attractions/1988038.html。 


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