山内 豊景(やまうち とよかげ、1875年〈明治8年〉9月20日 - 1957年〈昭和32年〉1月5日)は、日本の華族、陸軍軍人。侯爵。最終階級は陸軍少佐。中央刀剣会会頭。

略歴

1875年(明治8年)9月9日、土佐藩最後の藩主・侯爵山内豊範の長子として誕生する。1886年(明治19年)9月、父の死去により襲爵する。その後、フランスに留学した。

1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業。1900年(明治33年)6月に陸軍歩兵少尉任官、のち陸軍少佐にまで昇進する。日露戦争に従軍し功を立てる。

1900年(明治33年)8月21日、満25歳に達し貴族院侯爵議員に就任し、1946年(昭和21年)5月8日まで在職した。1901年(明治34年)、伏見宮貞愛親王の長女禎子と結婚する。1911年(明治44年)1月20日、麝香間祗候となる。

山内豊静の次男山内豊秋を養子とする。

1957年(昭和32年)、高知市横浜の私邸で没す。81歳。

山内家17代当主であり、墓所は国史跡の土佐藩主山内家墓所に葬られている。

栄典

位階
  • 1901年(明治34年)12月20日 - 従四位
  • 1906年(明治39年)12月27日 - 正四位
  • 1912年(大正元年)12月28日 - 従三位
  • 1920年(大正9年)1月10日 - 正三位
  • 1928年(昭和3年)1月16日 - 従二位
  • 1957年(昭和32年)1月5日 - 正二位
勲章等
  • 1897年(明治30年)6月30日 - 勲四等旭日小綬章
  • 1906年(明治39年)
    • 4月1日 - 勲三等瑞宝章
    • 12月15日 - 功五級金鵄勲章
  • 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章
  • 1916年(大正5年)4月1日 - 旭日中綬章
  • 1924年(大正13年)12月15日 - 藍綬褒章
  • 1931年(昭和6年)5月1日 - 帝都復興記念章
  • 1933年(昭和8年)12月28日 - 紺綬褒章(飾版)
  • 1938年(昭和13年)2月11日 - 金杯一個
  • 1939年(昭和14年)5月8日 - 紺綬褒章(飾版)
  • 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章
外国勲章佩用允許
  • 1909年(明治42年)
    • 5月25日 - スペイン王国:イサベル・ラ・カトリカ第一等勲章
    • 9月17日
      • ロシア帝国:神聖アンナ第一等勲章
      • プロイセン王国:王冠第一等勲章
      • イタリア王国:王冠第二等勲章
      • オーストリア=ハンガリー帝国:フランツ・ヨーゼフ第二等勲章
      • フランス共和国:レジオンドヌール勲章シュヴァリエ

家族

  • 父:山内豊範(1846 - 1886)- 土佐藩16代藩主。
  • 母:不詳
  • 妻:禎子女王(1885 - 1966)- 伏見宮貞愛親王の第一王女。
  • 養子
    • 男子:山内豊秋(1912 - 2003)- 豊景の弟・豊静の次男。靖国神社崇敬奉賛会初代会長。

備考

本邸は東京・参宮橋に構えたが、大磯や上総一宮に別荘を構えた。また、新宿区市谷田町2丁目にも923.98坪の土地を所有していたが、戦後の1948年(昭和23年)10月に法政大学に売却している。この土地には62年館が建設され、現在は法政大学市ケ谷田町校舎となっている。

高知市内の別邸、三翠園は1922年(大正11年)、1950年(昭和20年)と二度、昭和天皇行幸時の御泊所に提供された。

脚注

関連項目

  • 萩原三圭

山内侯爵邸について 追記 Garadanikki

. 日本語 山内一豊像(鉄山宗鈍賛、原典は個人蔵・山内豊景氏) . 1902. Unknown 1277 YamauchiKazutoyo

山内 豊範 【幕末明治の写真師 総覧】1,500名以上の写真師データベースから人名・開業年・出身地などを検索

山内一豊の妻 東家遠藤氏書紀(表紙)

山内一豊屋敷解説板 武士の館