アラン・メニュ(Alain Menu, 1963年8月9日 - )は、スイスのレーシングドライバー。ジュネーヴ出身。 現在、チームBMRのドライビングコーチ。
イギリスツーリングカー選手権(BTCC)において、1997年にはルノー・ラグナで2000年にはフォード・モンデオで優勝を果たす。また、世界ツーリングカー選手権(WTCC)にはシボレーのドライバーとして2005年から2012年にかけて出場し、2012年には2位にランクインした。
1990年代の最も成功したツーリングカードライバーの一人。
キャリア
農夫の息子であるメニュは、フォーミュラ・フォードでキャリアを始め、1985年から1987年まで参戦。1988年にイギリス・フォーミュラ3選手権にステップアップし、1989年に2勝を挙げランキング8位に入った。1990年にイギリスF3000選手権にステップアップ、1991年に国際F3000選手権で二度の6位入賞を記録したが、シーズン途中でフランスF3王者であるエリック・エラリーにシートを奪われフォーミュラへ挑戦を終えた。翌1992年にイギリスへ戻り、BMWでイギリス・ツーリングカー選手権 (BTCC)に転向したが、ノックヒルでのアクシデントのため、残りのレースを参加出来なくなった。
ルノー (1993–1998)
1993年、メニュはBTCCに新規参戦を開始したルノーチームに参加。前年度チャンピオンを獲得したティム・ハーベイとコンビを組む。チームメイトが2年程で別のチームに移籍する中、メニュは6年間と長期間在籍。 ルノーは当初GB・モータースポーツがチームを運営し、ルノー・19での参戦であった。 第2戦オウルトンパークでは2位入賞を果たすが、その後はクラッシュやトラブルに見舞われてリタイアしたり、順位を落とす事も多く、1993年イギリスGPのサポートレースとして開催され、日産・プリメーラを駆るキース・オドールが勝利した事で知られる第9戦シルバーストーンで8位に入るまでノーポイントと苦渋を舐めた。尚、このレースはクラッシュなどのアクシデントが相次ぎ、メニュ自身も最終ラップでオドールのチームメイトであるティフ・ニーデルと接触。ハーフスピン状態に陥って7位から8位に順位を一つ落としている。ルノーチームは次のノックヒルは欠場し、次のオウルトン・パークでグリッドに戻った。 マシンは改良され、第1レースで6位。続く第2レースではジョン・クレランドに次ぐ4位でフィニッシュした。 この年は特に成功したわけでは無く、シーズン前半はハーベイの影に隠れる事が多かったメニュだが、徐々にゼッケン1を付ける現チャンピオンであるハーベイと遜色なくなっていったばかりか、ウェットコンディションとなった第16戦ドニントンパークで初勝利。最終的にはハーベイを上回るシリーズランキング10位となっている。
1994年は、ルノー・ラグナにマシンが置き換えられた。 この年参入してきたアルファロメオは最初の4 レースを支配し、メニュはシルバーストーンまで表彰台を獲得できなかった。 他チームからスポイラーの形状にクレームが入った事を重く見た、BTCCの主催者は次のオウルトン・パークではこの部分を改修するようにアルファロメオに指導。これに抗議する形でアルファはサーキットを離れた為、ポールポジションからスタート。レースに勝ち、ファステストラップも記録するパーフェクトウィンを達成する事が事ができた。 シルバーストンで開催された1994年イギリスグランプリサポートレースではメニュはグリット上位につけていたが、第1コーナーでジュリアン・ベイリーがメニュの右サイドに接触。ベイリーのカリーナEはスピンしてしまう。スピンしたカリーナEはコース上にストップしてしまった為、行く手を阻まれてしまった後続車が次々と衝突して10台程が絡む多重事故に発展、レースは一時赤旗中断となる一幕もあった。開幕戦から5連勝を記録するなど他を寄せ付けなかったアルファロメオのガブリエル・タルキーニがチャンピオンを最終戦を待たずに決めていたため、チャンピオンの可能性は無くなってしまった。一方でランキング2位以下は接戦が続き、最終戦はメニュとフォード・モンデオを駆るポール・ラディシッチによるシリーズ2位争いが注目された。ラディシッチは最終戦の第1レースで優勝し、メニュにプレッシャーをかけたが、第2レースではマシンにトラブルが生じて9位に留まった為、メニュのシリーズ2位が確定した。
1995年はこれまでのルノー・スポールに代ってウィリアムズがルノーのチーム運営及びマシンの開発を行う。チームメイトはトヨタチームから移籍してきた1991年のBTCCチャンピオンのウィル・ホイ。ウィリアムズが開発・制作したラグナは高いポテンシャルを持ち、メニュはこの年他のドライバーより多い7勝を記録した。しかし、ドライバータイトルでは安定的にポイントを稼いでいたボクスホールのジョン・クレランドを上回る事ができず、シリーズ2位でシーズンを終えた。チームメイトのウィル・ホイは移籍直後でシリーズ前半はラグナを乗りこなすのに苦労していたが、シーズン後半には3勝して最終的にランキング4位まで浮上した。ドライバー及びチームタイトルの獲得には至らなかったが、メニュとホイの踏ん張りによりルノーはマニファクチャラーズタイトルの獲得に成功した。
1996年もメニュはホイと組んでシリーズを戦う。ウィリアムズ・ルノーは1995年シーズンを好調で終え、過去2年間シリーズ2位と好成績を残していた事からシリーズ開幕前からメニュのチャンピオン獲得が有力視された。しかし、この年四輪駆動車での参戦を発表したアウディのフランク・ビエラが開幕戦からいきなり優勝。年間を通して主導権を握られ、メニュも中盤のブランズ・ハッチまでなかなか優勝する事が出来なかった。それでもメニュはこの年も4勝を記録している。ビエラには大差をつけられてしまったが、ボルボのリカルド・リデルを僅かに2ポイント差で下し、3年連続でシリーズ2位となっている。
1997年は新たにBTCCに初出場となるジェイソン・プラトをチームメイトに迎えた。この年のラグナの強さは群を抜いており、メニュにとってもルノーにとってもベストシーズンとなった。メニュは開幕戦からいきなり4連勝を達成。前年のアウディの優位性に疑問視した主催者側が四輪駆動に対するハンデキャップをアウディに科した事も手伝って、この年24レース中半分の12レースでメニュは優勝して前年度までの雪辱を果たし、遂にシリーズチャンピオンを獲得した。チームメイトのプラトも3勝してランキング3位となっており、ルノーはドライバー、マニファクチャラーズ、チームのタイトルを獲得して3冠を達成した。
1998年はディフェンディングチャンピオン及びチームとしてシーズンに臨む事になったメニュとウィリアムズ・ルノーであったが、この年はボルボ、日産、ホンダが力をつけ始めてルノーの優位性は薄れてしまった。ドライバータイトル争いもボルボのリカルド・リデルと日産のアンソニー・レイドの一騎打ちとなり、メニュもプラトもチャンピオン争いに絡む事が出来なかった。この年はメニュは4位であり、ラグナに乗り換えて以来ワーストの順位だった。それでもこの年も3度の優勝を記録している。しかし、メニュはこれまで6年もの間在籍したルノーを離れる事を決めた。
フォード (1999–2000)
1999年はフォードに移籍。モンデオをドライブする。チームメイトは日産から移籍してきたアンソニー・レイド。1997年度チャンピオンのメニュと1998年度シリーズ2位のレイドとBTCCで実績を挙げているドライバーラインナップであり、この年フォードチームは非常に注目された。しかし、シリーズが開幕されるとフォードチームは年間を通して苦戦。それぞれルノー、日産のマシンで多くの表彰台を獲得してきたメニュとレイドであったが、マシンの開発は上手く行かず、予選順位が中盤以降に沈む事も多く、クラッシュに巻き込まれることもしばしばあった。それと同時にマシントラブルも相次ぎ、マシントラブルによるリタイアも多くみられた。メニュは何とか終盤のノックヒルでチームに勝利をもたらしたが、フォードはマニファクチャラーズチャンピオンシップで最下位に沈み、メニュもこの年ドライバーランキング11位に終わっている。
2000年はワークス、プライベーター問わず撤退するチームが多かったが、フォードはBTCCに残留。メニュは引き続きレイドと撤退したボルボチームから移籍してきたリカルド・リデルと組む。
この年のフォードは前年度の不調を克服し、常にボクスホールとホンダに対して優位にシーズンを戦う事ができ、最終戦を待たずにチーム及びマニファクチャラーズチャンピオンシップのタイトルを獲得する事ができた。ドライバータイトルもフォードの3人がタイトル獲得の可能性を残し、3人の中で最も完走率が高かったレイドがポイントリーダーで最終戦に臨む事となった。最終戦シルバーストーンの第1レースではリデルが2位に入り、レイドも不調ながらも7位で完走した。メニュはこのレースではジェイソン・プラトと接触してリタイアに終わったが、続く第2レースはリデルがマシントラブルにより出走できず、レイドも他車との接触によりコースアウトしてリタイア。優勝したトム・クリステンセン、2位のジェイソン・プラトに次ぐ3位で完走したメニュが2度目のシリーズチャンピオンに輝いた。この年はスーパーツーリングのマシンで行われる最後のシーズンでもあり、メニュはスーパーツーリング規定下のBTCCで唯一2度のドライバータイトルを獲得したドライバーとなった。
レース成績
イギリス・フォーミュラ3選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
国際F3000選手権
イギリスツーリングカー選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
- *はフューチャーレースにおける少なくとも一周のラップリード。
ル・マン24時間レース
セブリング12時間レース
世界ツーリングカー選手権
ポルシェスーパーカップ
イタリア・スーパーツーリング選手権
- ‡ : ゲストドライバーに指定されているため、選手権のポイント対象外となる。
世界ツーリングカーカップ
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Alain Menu Racing (@alainmenu_) - X(旧Twitter)
- motorsport-total.comのAlainメニュー
脚注




