タニノブーケ(欧字名:Tanino Bouquet、1982年4月17日 - 2011年9月17日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍に1984年のデイリー杯3歳ステークス。
経歴
競走馬時代
1984年8月4日、函館競馬場第3競走の3歳新馬戦で、須崎昇を鞍上にデビューするも7着に敗れる。続く折り返しの新馬戦では、後にメジロドーベルの母となるメジロビューティーをクビ差退け初勝利を挙げた。その後のすずらん賞(OP)では、今後しばらくコンビを組むことになる村本善之を鞍上に2着、黄菊賞(400万下)では4着と勝ちきれないレースが続いたが、10月20日のりんどう特別(400万下)を勝つと、勢いそのままにデイリー杯3歳ステークスも連勝で制し重賞初制覇を果たした。その後、ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスに出走するも、ニホンピロビッキーに2馬身以上付けられた2着に敗れ、この年のレースを終えた。
1985年はシンザン記念より始動するも、ライフタテヤマの7着と牡馬を相手には歯が立たず惨敗。続くきさらぎ賞でも9着となり、その後休養を挟んでから小島貞博とのコンビでエリザベス女王杯を目指したものの、当日に出走取り消しとなってしまう。この年はこれ以上出走せず、その後は1987年まで6戦したものの全てで掲示板を外し、2月21日の橿原特別を最後に現役を引退した。
繁殖牝馬時代
引退後はカントリー牧場で繁殖牝馬となった。すると、初仔であるタニノボレロが1992年の新潟記念を制し、産駒の重賞初制覇を挙げた。さらに、その1992年の産駒であるタニノクリエイトも、1995年にこの年の年度代表馬となるマヤノトップガンや、ダービー馬タヤスツヨシらを退け神戸新聞杯を制して産駒の重賞2勝目を挙げた。さらに、この2頭以外にも3頭が中央競馬での勝利があり、そのうちの1頭であるタニノジャドールは、引退後繁殖牝馬として、2010年の菊花賞馬ビッグウィークの母となった。
タニノブーケ自身は2002年5月14日付で用途変更となり繁殖から引退。その後はえりも町のエクセルマネジメントで功労馬として余生を送っていたが、2011年9月17日に死亡した。29歳没。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comに基づく。
繁殖成績
血統表
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ




